屋久島(2019.09.12~16)
参加者:たくと せいしろう しゅうへい じゅあん だいすけ はるき
こんにちは。活動報告遅くなって申し訳ありません。幹事の田中です。
今日は、2019年屋久島の活動を振り返ります。小説調で息苦しいですがそこは暖かく見守ってk…。
ウォーキャン夏のビッグイベント屋久島が、今夏帰ってきた。
毎年が台風との闘いで、今年も前後に台風に挟まれるなど、終始荒波に呑まれる気分で夏休みを過ごした。結果的に5日間の日程を無事に終えられたが、登山中は壮絶だった。 初日は問題なく集合し、市電で埠頭まで向かった。天気は快晴、気分は上々。これから5日間の長旅が始まる。フェリーの中はホールやシャワー室、食堂や売店など一通りの物はそろっていた。あまりにも景色がよかったので、本土を抜けるまでは外の景色をボーと眺めていた。港まではあっという間だった。早めに屋久島に帰省していた1年のだいすけと合流。屋久島はやはり大きく、確か下から頂上は視認できていなかった。予定通りのバスに乗り、1時間ほど揺られて登山口に着く。右には反り立つ山々、左には太平洋というダイナミックな島だと思った。
初日は、30分ほどの登りで終了した。汗が出る寸前で小屋に着き、周りを流れる小川に目をやった。屋久島は水入らずとはこういうことか。川は透き通っていて、いかにも大地から湧き出る川の流れをしていた。夕食のためにレジャーシートを広げる。今晩の献立はカップ麺と炊き立てのご飯(カレー付)だ。屋久島のために買ったクッカーがラーメン作りに発揮されているのを見て感動を覚える。夕食を用意してきていなかった人もいたため、食料をみんなから分けてもらう光景は、本当にサバイバルしてるなと感じた。(周知不足ですみません)続々と人も増えてきて、19時ごろにはもう薄暗かったので、周りを少し散策した後はもう小屋に入って寝る準備をした。初めて使うマイシュラフは、暖かかった、わけでもなく、やはり最初は冷たかった。明日も楽しく登れるだろうと想像し、4時起きを呼び掛けて、さぁ、おやすみなさい…。
まだ真っ暗だというに雨の音、人の出入りする音で目が覚めた。そして外に出ると案の条雨だ。これは乗り切れるか、いやきっと止むだろう、と悩みながら30分遅れで出発した。初めて登る本格的な屋久島。森の中に降り続ける雨のせいで神秘度が百倍は増している。目を覆いたくなるくらい、目の前が屋久島。想像していた以上に水に恵まれ、緑で覆われ、そして足場が川だった。それまで耐えていた登山靴に徐々に水が浸入しだし、あれよという間に泥に埋もれるようになった。途中何度も休憩するが、それも束の間、止まると余計に雨を浴びるし、早く着きたい一心から自然と足が動き出す。そうこうしているうちに宮之浦岳に着いた。さっきから何も景色が変わっていないため着いた実感は何も沸かない。ただ髪の毛から滴る雨水の量だけがそれを語っている。せめてもの気持ちを込めて僕が歌いだすと、やはりうるさいですとの声が返ってきて、はい、というしかなかった。一行は足早に今日泊まる小屋を目指して歩き出した。そして見事、時間を大幅にクリアして新高塚小屋に着いた。小屋は昨日に比べて大きく、周りはほとんど霧に包まれていた。さあ今晩の夕食を、の前に、まずは今晩の寝床であるシュラフを乾かさなければならない。濡れた衣類とシュラフを見てしばらく、あぁ…となった。だがその晩炊いた米はウォーキャンで炊いてきた米の中で一番の出来だと感じたので、少しは前向きな気分になれた。小屋での長くぼんやりとした時間と、降り続ける雨がマッチしていたあの光景は、ある意味あの日が雨だったからこそ、一生忘れないものとなった。
3日目も朝から雨。だが、今日が終われば、という確かな目標があった。そう、今日が終われば一番お高い温泉と、焼き肉に行けるのだ。まだ濡れた靴に足を入れ、真っ暗の中を6人のライトを頼りに進んでゆく。一晩ぐっすり寝たが、それでも、昨日に増した足場の悪さと、よりハードなコースによって精神的な疲れは癒し切れていなかった。日の出が始まると視界は一気に明るくなった。そして時間が経つごとに計画書に書かれたポイントを次々とクリアしていく。ついに辿り着いたのは、あの縄文杉だ。想像していたよりはるかに遠く、見上げる位置にある。だが周りと比べると確かに幹は大きい。
屋久島にはこれ以外にも巨大な杉の木がいくつもある。それぞれに名前がついているおかげで、自分たちがどの辺にいるのか把握しやすかった。
そして訪れたトロッコ道。長かった。とても。しかし、軽快な足取りに変わり、大勢の登山客と挨拶をするおかげで、一番楽しめた道でもあった。雨の日にかかわらず、屋久島はいつも人気の島である。白谷雲水峡が見え始め、ゴールまであとわずかとなった。轟音をたてながら白いしぶきを上げていた。渓谷を渡る橋の上に立った時、あまりの迫力に、普段は絶対にしない自撮りをした。そしていよいよゴール。疲れもした。。。寿安が巧みに甘いフェイスでお姉さま方にアプローチ、写真撮影をした。
街に戻るとレンタカーを借り、まんてんの湯に浸かった。その気持ちよさは、もう言うまでもない。やり終えたという達成感と、開放感で心の中はいっぱいだった。今日の宿はウォーキャン御用達、民宿あさか。過去の活動報告で見た通り、おじちゃんは元気であった。そして焼肉へ出発。3日間で使い果たしたエネルギーを確実に肉で補給。すごく美味しくて、ご馳走で、幸せだった。これからも行ってほしい店No.1。台風が近づいているということで、急遽4日目に帰ることになった。宿では、明日の帰還に備えて屋久島最後を惜しむムードが流れ、ひたすらトランプをしたり、「ステキな金縛り」を見たりした。気づかぬうちにみんな爆睡し、3日目を終えた。
4日目は朝起きると、いきなりフェリー欠航の知らせがきた。晴れていたが、南の海上の台風の勢力は大きく、波が時化っていたようだ。完全に帰る気分だった我々は不意を突かれたような、しかし1日延びたことで本来の観光が出来ることに嬉しさも感じた。昼食を済ませ、屋久島1周の旅に出た。とにかく天気がよく、多くのビーチが綺麗で今にも泳ぎたかったが、残念ながら荒れていて入れなかった。西部林道では多くの猿と出会った。屋久島灯台は絶景だった。ここで映え写真を量産した。
大川の滝は落差がすごかった。水しぶきに手が届きそうだった。そして最後は、だいすけに教えてもらったお茶店に行き、美味しい抹茶アイスを食べた。甘い味は久々に食べた。夕食は「屋久どん」で食べた。うどんに限らず、定食やとんかつ、カレーなど色々あったが、やはり本場のうどんを食べた。お魚の出汁が沁みわたっていて最高に美味しかった。帰りはドラモリでお菓子やパンなどを買った。夜は連日盛り上がるバレーに釘付けになった。その脇で僕と周平は熱い真剣衰弱を繰り広げた。だが1回も勝てなかった。周平の記憶力は本当に天才だった。あるいは僕の集中力が持たなさすぎか…その夜は、次の日のフェリーまで欠航にならないか、なってしまったら本当にお金が尽きてしまう、などといった不安と戦いながらも、遅くまでトランプを楽しんだ。
最終日。フェリー欠航の知らせは来なかった。朝早く、予定していた屋久杉自然館に向かう。ここの自然館、すごいところだった。屋久島の発展の歴史、屋久杉の話、屋久島の詳しいことまで、分かりやすく膨大な数のパネルや展示品があった。
特に年輪のコーナーで15分ほど立ち止まって、ずっと年輪を眺めていた。年輪は奥が深いんだなあ…(笑)最終日は、とても頭を使って、心で感じる不思議な時間になった。屋久島で食べる最後の食事だ。自称グルメにこだわりの強い幹事は、最後まで美味しいものを突き詰め、トビウオラーメンに飛びついた。ラーメンにトビウオ1尾まるごと入っている衝撃的な図。食べる手順がいくつもあり、その一つ一つをこなしながら食べるのはじれったくもあり、かつ食べごたえもあった。最後にじっくりとお土産を選び、レンタカーを返して、屋久島での活動をすべて終えた。帰りのフェリーは波が高く、大揺れだった。相変わらず真剣衰弱の特訓をしていた2人は、流石に酔いが回ってきて早々と寝てしまった。気づくと桜島をバックに錦江湾を悠々と走っていた。綺麗に夕日に照らされていた。そして6人全員、事故なく怪我なく、部室に辿り着くことができた。
今回の屋久島は、全員が初めて行く人達で、過去の活動報告を頼りにするしかなかったが、無事に終えることはできて自分なりに行ってよかったと思った。ただ、登山自体は間違いなく人生で後にも先にも一番きついものだったので、その意味ではっきりと記憶に残すことはできた。次回はぜひゆっくりと、晴れた日に新たな魅力を探しに行きたい。
ここまで読んでくれた方、本当に貴重な時間を費やして頂きありがとうございました。